Baroque


「彼女こそ…私のエリスなのだろうか…」
 

主よ、私は人間を殺めました。 
私は、この手で大切な女性を殺めました。 


思えば私は、幼い時分より酷く臆病な性格でした。 
他人というものが、私には何だかとても恐ろしく思えたのです。 


私が認識している世界と、他人が認識している世界。 
私が感じている感覚と、他人が感じている感覚。 


『違う』ということは、私にとって耐え難い恐怖でした。 
それがいづれ『拒絶』に繋がるということを、無意識の内に知っていたからです。 


楽しそうな会話の輪にさえ、加わることは恐ろしく思えました。 
私には判らなかったのです、他人に合わせる為の笑い方が。 


いっそ空気になれたら素敵なのにと、いつも唇を閉ざしていました。 
そんな私に初めて声を掛けてくれたのが、彼女だったのです。 


美しい少女(ひと)でした、優しい少女(ひと)でした。 
月のように柔らかな微笑みが、印象的な少女(ひと)でした。 


最初こそ途惑いはしましたが、私はすぐに彼女が好きになりました。 
私は彼女との長い交わりの中から、多くを学びました。 


『違う』ということは『個性』であり、『他人』という存在を『認める』ということ。 
大切なのは『同一であること』ではなく、お互いを『理解し合うこと』なのだと。 


しかし、ある一点において、私と彼女は『違い過ぎて』いたのです。 


狂おしい愛欲の焔が、身を灼く苦しみを知りました。 
もう自分ではどうする事も出来ない程、私は『彼女を愛してしまっていた』のです。 


私は勇気を振り絞り、想いの全てを告白しました。 
しかし、私の想いは彼女に『拒絶』されてしましました。 
その時の彼女の言葉は、とても哀しいものでした。 
その決定的な『違い』は、到底『解り合えない』と知りました。 


そこから先の記憶は、不思議と客観的なものでした。 
泣きながら逃げてゆく彼女を、私が追い駆けていました。 
縺れ合うように石畳を転がる、《性的倒錯性歪曲》(Baroque)の乙女達。 
愛を呪いながら、石段を転がり落ちてゆきました……。 


この歪な心は、この歪な貝殻は、 
私の紅い真珠は歪んでいるのでしょうか? 


誰も赦しが欲しくて告白している訳ではないのです。 
この罪こそが、私と彼女を繋ぐ絆なのですから。 
この罪だけは、神にさえも赦させはしない……。 


「ならば私が赦そう…」


──激しい雷鳴 浮かび上がる人影 
〔Baroque Vierge, Baroque zi le fine…〕 
いつの間にか祭壇の奥に『仮面の男』が立っていた── 
〔Baroque Vierge, Baroque zile fine…〕


 


※Baroque Vierge, Baroque zile fine…=歪んだ真珠の乙女、歪なる日に死す…